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東京地方裁判所 平成11年(タ)877号 判決

原告 井上秀幸

右訴訟代理人弁護士 赤松俊武

被告 井上惇子

右訴訟代理人弁護士 萩原新太郎

同 八代英輝

同 武澤朋子

右萩原新太郎訴訟復代理人弁護士 工藤英知

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

原告と被告とを離婚する。

第二事案の概要

一  本件は、被告の夫である原告が、両者間には婚姻を継続し難い重大な事由があるとして、被告との離婚を求め、これに対し、被告は、両者間の婚姻関係は破綻していない、あるいは原告は、婚姻期間中に不貞行為を行ったなどとして、原告からの離婚請求は認められるべきでないと主張して争った事案である。

二  前提事実

甲二ないし四、一五号証、乙四号証、原告本人及び被告本人の各尋問によれば、次の事実が認められる。

1  原告(昭和一七年二月一七日生)は、昭和四二年に岩手医科大学を卒業し、同大学大学院に在籍し,被告(昭和二〇年一一月一六日生)は、昭和四四年に学習院大学を卒業して、家事手伝い等をしていた。

2  原告と被告は、昭和四七年一〇月十四日、婚姻届を提出して婚姻し、当時原告が居住していた岩手県盛岡市の住居で共同生活を始めた。原告は、大学院を卒業し、大学医学部の助手となった。

3  原告と被告は、昭和五二年に東京都文京区千駄木にある被告の両親宅に転居するとともに、原告は、文京区大塚で医院を開業した。しかし、医院では保険診療を行わなかったことから、思ったほどの収入が得られなかったため、原告は右医院を休業した。原告は、昭和五四年になり、文京区千駄木にある被告の父親所有の土地に自宅兼診療所の建物を建築して、同所で医院を開業した。しかし、原告は気管支喘息等の病気に罹患したことなどから右医院も休業した。そして、昭和六〇年に神奈川県厚木市で医院を開業し、現在に至っている。その間、原告は、平成二年五月に平塚市にある被告の父親所有の土地に居住用の建物を建築した。

4  原告と被告の間には、昭和五〇年五月一二日、長女聡子が、昭和五四年四月一七日次女靖子がそれぞれ出生した。聡子は、昭和五四年に小脳変性症に罹患し、運動機能に後遺障害が残った。

5  原告は、平成七年には文京区千駄木の自宅を出て平塚市の建物で生活するようになったが、その間被告は、平塚市の建物を訪問し、宿泊するなどして原告の身のまわりや食事の世話をするなどした。原告は、平成一一年七月中旬ころ、被告に対し、離婚の意思を通知し、同年八月には、平塚市の建物を出て、厚木市内に転居して被告と別居し、現在に至っている。

6  原告は、平成一一年七月二九日、被告を相手方として、東京家庭裁判所に夫婦関係調整(離婚)調停の申立をしたが、右申立は、同年一二月六日、調停が成立しないものとして終了した。

三  争点

原告と被告の離婚原因の有無

四  争点に対する当事者の主張

1  原告

(一) 原告と被告は見合いをして、特に愛情を感じることなく、お互いに打算もあって婚姻をした。婚姻当時、原告は大学院生で無収入であったことから、被告の両親の経済的援助を期待していたし、被告も原告の医師としての地位や収入に期待するなど、原告と被告の婚姻は、双方にある程度の打算があった。原告は、昭和五四年に東京都文京区千駄木に医院を開業するまで被告の両親から生活費等の援助を受け続けたこと、被告と婚姻前からの女性問題で被告が被害を受けたが、被告が原告に抗議をしたり、原告を恨んだりすることもなかったことなどから、原告は、被告に対し、強い精神的負担を感じてきた。

(二) 被告は、昭和五二年に原告が急性肝炎に罹患し大学病院に数か月間にわたり入院したとき、看病せず東京に帰ってしまったことや、原告が文京区大塚で開業した医院での診療報酬が少なかったことに対し文句を言ったりしたことがあり、また、昭和五四年に原告が夜中に気管支喘息の発作を起こしたとき突き放したような姿勢をとるなどしてきた。

(三) 聡子の運動機能障害の改善について、原告は、リハビリ治療等を通じて絶えず励まし、愛情をかけてきたが、被告は、聡子の障害に対し、常に傍観者の姿勢を取り続け、リハビリ治療についても全く理解を示さず無関心であった。原告らが外出して電車に乗るとき、被告は、一人で車内に乗り込み一人で座ってしまい、原告と聡子は取り残されてしまったこともあったし、旅行に行ったとき、被告は原告や聡子を置いてさっさと歩いて行ってしまうなど、聡子に対し愛情を示さなかったことから、原告は、被告の聡子への接し方に強い失望感を感じた。

(四) 平成二年八月、原告は、聡子のリハビリ治療を主な目的として家族全員で生活することを予定して神奈川県平塚市に自宅を建築したが、被告は、文京区千駄木から平塚市に転居することを拒否したので、原告は、文京区千駄木の自宅から平塚市まで毎日通勤し、聡子と一緒に運動公園でリハビリ治療のための運動等を継続して行った。この間、被告の両親が原告が留守の間に平塚市の自宅に入り込み、原告の鞄に入っていた私信を探し出し、それをコピーにとったりするなどしたが、被告もこれを止めようとはしなかった。原告は、被告や被告の両親の行為に不快感と不信感を覚えた。

(五) 平成七年三月には聡子が高等学校を卒業し、小田原市の短期大学に入学したことから、原告は、聡子と一緒に生活したため、週五日は平塚市で、二日は文京区千駄木で生活することとなった。原告が聡子と一緒に毎日運動公園等で長距離を歩いたり走ったりしたり、丹沢等で山登りをしたことから、聡子の運動機能は著しく改善し、聡子は肉体的にも精神的にも大きな自信と勇気を持つようになって、短期大学を卒業して放送大学に入学した。しかし、原告は、医院での診療の後、聡子のリハビリ治療のため聡子と一緒に運動し、さらに夜間の診療も行うという生活を続けたため疲労困憊となり、平成一〇年からは医院の診療は週五日の午前中のみとせざるを得なくなった。

(六)被告は、平塚市の自宅での共同生活を頑に拒否し、聡子のリハビリ治療にも熱意を示さないことから、原告は、被告に対する信頼関係も精神的な繋がりも失ってゆき夫婦関係は冷却し、被告の意思で夫婦の性的関係も平成一〇年ころからなくなるなど、原告と被告の婚姻関係は完全に破綻し、修復することは不可能となった。

(七) さらに、被告は、平成一一年二月ころから、原告と医院に勤務する女性従業員川上ミツ子(以下「川上」という。)との間柄を邪推し、頻繁に医院や川上宅に電話をしたり、川上やその夫に対し面談を要求したりしている。なお、仮に原告と川上との間に不貞行為があると推測されるとしても、それは原告と被告間の夫婦関係が破綻した後のことであり、原告には責任はない。

(八) 原告は、文京区千駄木に医院を開業しており二〇年間にわたって、健康を害することがあっても、診療報酬の全てを被告に渡して家族の生活を支え、重度の障害を持つ聡子のリハビリ治療を行い、さらに被告の両親にも尽くしてきた。しかし、被告や被告の両親は、原告に理解を示さず、冷淡な対応をしてきた。

(九) 原告は、昭和五四年から平成一一年八月頃までの間、被告に診療報酬の管理を任せてきたが、被告は、原告に無断でこれを預貯金に回し、その明細を原告に明らかにしない。しかし、その間の原告の収入からすれば、被告は、六五〇〇万円程度預貯金をして、原告の財産を隠匿している。さらに、被告は、原告に無断で原告の生命保険契約を解約して解約返戻金を受領したり、保険契約者名義を変更するなどしている。このことは、被告が、将来の原告との離婚に備えて財産の隠匿を行っていることを示している。

(一〇) 以上のとおり、原告と被告間の婚姻関係は完全に破綻しており、両者間には、婚姻を継続しがたい重大な事由がある。

2  被告

(一) 被告が原告との婚姻を決意したのは、原告の性格に惹かれたものであり、原告に対する地位や経済的打算があったものではない。また、被告は、婚姻前に自宅に不審な電話が掛かってきたことから警察に相談したことがあったり、婚姻後は頻繁に自宅に無言電話等が掛かってきたことがあったが、原告から女性問題があると打ち明けられ、結局問題が解決したことから、被告は、原告の対応を信頼し、原告と結婚生活をして行こうと決めたのであり、そのことで被告が原告を恨んだことはないし、そのことが、原告の精神的負担となったこともない。さらに、被告は、原告の診療報酬が少ないことを非難したことはない。原告は、冗談めかして、病院を二度潰したなどと言っていたこともあったが、被告は、原告の苦労を理解していたことから、そのことを気にしたことはなかった。

(二) 昭和五一年に原告が急性肝炎で入院したとき被告は非常に心配し看病しようとしたが、原告が被告に対し、自分の勤務する病院だから心配いらないので聡子を連れて実家に帰るように言ったことから、被告は両親の家に帰ったものである。しかし、被告は原告のことが心配であったことから、しばしば原告の病室を訪ねて看病している。また、昭和五四年ころに原告が気管支喘息に罹患したときも、被告は原告を気遣って病院に行くよう勧めたり、救急車を呼ぶように言ったこともあったが、原告は医師としてのプライドからか被告を叱ったりした。しかし、被告は、原告が発作を起こしたときは、原告の背中をさすったりして看病しており、原告に冷淡に接したことはない。

(三) 被告は、聡子の運動機能障害回復及び心身の健全な成長のために、盛岡市にある運動機能回復のための施設に母子二人で入所してリハビリ治療をしたいと原告に相談したり、聡子の運動機能回復のために水泳教室やピアノ教室を探してきて、送り迎えや付添もしたり、聡子がいじめにあっていることを知り、その解決のために様々な対策を講じるなど、母親として最大限の努力をしてきた。また、外出時にも、聡子のことを気遣っており、聡子を置いてさっさと行ってしまったことなどない。

(四) 原告は、聡子のリハビリ治療のために、平塚市に自宅を建築したかのような主張をするが、それは原告が文京区千駄木から厚木まで毎日通勤するのが大変であることから行ったもので、原告が聡子のリハビリ治療のため建てたなどと話したことはない。

(五) 原告と被告間には、平成一〇年ころから夫婦の性的関係がなくなったが、原告は、そのころから、川上と不貞関係にあった。被告は、同年五月ころ、川上から原告に対する手紙を見て不貞関係を知ってから、精神的ストレスで不眠症になった。

(六) 被告は、原告との離婚に備えて原告の財産を隠匿している事実はない。被告は、原告の診療報酬口座を管理し、その一部を預貯金に回しているが、それは靖子や聡子の将来のために積み立てているものである。さらに、被告が原告名義の生命保険契約を解約し解約返戻金を取得したり、契約名義を変更したことも事実であるが、それは別居後の被告と子供たちの生活費の捻出や、原告と川上との関係を危倶して、保険会社の外務員の助言にしたがって、受取人の変更を防止するために行ったにすぎず、原告との離婚に備えて行っているものではない。

(七) 以上の通り、原告の主張は理由がなく、また、被告は原告との円満な夫婦関係の継続を望んでいることから、原告と被告間の婚姻関係は破綻しておらず、そうすれば、原告と被告間に婚姻を継続しがたい重大な事由があるとはいえない。

第三争点に対する判断

一  甲五ないし七、九ないし一一、一三ないし一七、二〇ないし二四、二五ないし三一号証(枝番も含む。)、乙一ないし五号証(技番も含む。)、原告本人及び被告本人の各尋問に、前記の前提事実を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告が婚姻当初経済的に自立できず、被告の両親から援助を受けたことや婚姻当初の原告の女性問題があったことで、原告が、被告や被告の両親に対し、何らかの精神的負担を感じたことは認められる。しかし、被告がそのことを気にしたり、恨みに思っていたことを認めるに足りる証拠はなく、原告がそのことを負担と感じたり、被告が自分を恨んでいると思っていたとしても、そのことを被告に話したり、理解を求めたことはない。

2  原告は、聡子の父親として、また医師として聡子のリハビリ治療のために尽くしてきたと認められる。原告は、被告が、聡子の障害に対し無関心で母親としての愛情を示さず冷淡に接してきたとして、その具体例を示すが、乙五号証の聡子の陳述書によれば、被告も聡子に対し、母親としての愛情をもって接し、聡子の身体機能が回復するよう尽力したことが認められ、被告が聡子に対し、原告の主張するような無理解で、冷淡な対応をとったとは認められない。

3  原告は、訴状等では、川上は、原告の経営する医院で働いている従業員にすぎず、被告は、原告と川上が特別の関係にあるなどと邪推していると主張し、川上との不貞行為の存在を否認していた。しかし、原告本人尋問では、川上と平成一〇年暮れころから親しい関係になり、それは平成一二年三月ころまで続いたことを認める旨の供述をするに至ったが、原告と川上の親しい関係は、原告と被告の夫婦関係が破綻した後の問題であると主張を変遷している。しかし、平成一〇年の暮れころには、原告は、平塚市の建物に単身で生活していたが、被告が文京区千駄木の自宅から通って、宿泊するなどして原告の面倒を見ている時期であり、その時期に原告と被告間の夫婦関係が破綻していたとまでは認められず、これによれば、原告が川上との間で不貞行為を行い、これを続けたことは原告に責任があると認められる。

4  原告は、平成一一年八月ころまで、診療報酬の管理を被告に任せてきたこと、その金額は相当程度に達していると認められる。しかし、その間には、原告ら家族の生活費用、聡子や靖子の修学費用など相当程度の支出もされたものと推認され、そうすれば、原告が診療報酬の管理を被告に任せ、被告がそれを預貯金していたことをもって、被告が原告に無断で約六五〇〇万円もの預貯金を隠匿していることを認めることはできない。確かに、被告は、原告から書面により離婚の意思を伝えられた平成一一年七月以降、原告や子供名義の預金を引き出し、その使途は必ずしも明らかでない。これに対し、被告は、預貯金は、靖子や聡子の将来のために積み立てていること、また、生命保険契約の解約や契約名義の変更は、別居後の被告と子供たちの生活費の捻出や、原告と川上との関係を危惧して、保険会社の外務員の助言にしたがって、受取人の変更を防止する為に行ったなどとしており、疑問はあるが、被告の右説明には一応の理由があると考えられ、虚偽であるとまでは言えない。そうすれば、被告が預貯金を解約したり、生命保険契約を解約したり契約名義を変更したことをもって、被告が原告との離婚に備えて原告の財産を隠匿していると認めることはできない。

5  原告は、原告と被告の婚姻は打算の強いもので、両者間には愛情がなく、通常の夫婦のように仲睦まじいものではなかった、そして、原告は被告に対し、常に精神的負担等を感じてきたと供述する。原告の供述する精神的負担がどのようなものであったかについては、必ずしも明確ではないが、聡子は、「原告と被告は、聡子が短大に在学中までは仲がよく、三人で運動したり山登りをしたりしていたが、聡子が短大を卒業するころから急に話をしなくなり、原告が被告を避けるようになった。」旨の陳述をしており、これによれば、原告と被告が、婚姻当初から愛情のない生活をしていたとは考えられず、この点に関する原告の主張を認めることはできない。

二1  右によれば、原告が、原告と被告間の信頼関係や相互の繋がりはなくなったとしていろいろな例を挙げ、その原因は被告にあるとする事実は、主として原告の内心の事情に関するものであると言わざるを得ない。そして、原告は、被告と婚姻し同居するようになってから今日まで、積極的に原告の被告に対する、その時々の心情を明らかにして問題点を解決するために話し合いをするなどした事実は認められない。その結果、原告が本件訴訟に至って明らかにした、被告に対する精神的負担感や不満などは、被告にとっては唐突で理解し難いと映ったのかもしれない。仮に、原告が、婚姻当初から被告や被告の両親に精神的負担や疎外感、又は不満等を感じてきたり、被告の聡子に対する接し方に強い不満を持ち、それらが原告にとり長い年月にわたってわだかまりとなってきたとしても、そのことをもって、原告と被告間の婚姻関係が破綻しているとすることは相当ではない。

2  確かに、原告と被告間の婚姻関係が破綻していないとして、原告に対し、被告とさらに婚姻生活を続けるように求めることが、原告と被告双方の幸福に繋がるか否かについては疑問がないではない。しかし、原告は、婚姻以来二七年間余、被告に対して不満などを感じても、必ずしも被告と夫婦として心を開いて話をする努カをしてきていないし、被告も原告の心情を充分に推し量って、原告に対し夫婦としての話し合いを求めてきたとは言えないこと、これに、原告が被告と完全に別居するようになってから約一年半であること、原告が被告との婚姻期間中であるにもかかわらず、川上と不貞関係にあったにもかかわらず、被告は、原告との婚姻関係の継続を望んでいることなどを併せて考慮すれば、原告は、被告との間で自己の心情を率直に明らかにして話し合い、被告は、原告の心情を充分に理解するように努め、今一度双方で夫婦関係を見つめ直す機会を作るべきであると思われる。

3  これによれば、原告と被告間に婚姻を継続しがたい重大な事由があると認めることはできない。

三  以上によれば、原告の本件請求は理由がないことからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 城内和昭)

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